心臓弁膜症の日記ブログ

2022年心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症)と診断されてからの病気の経過や治療についてを綴ります。自分の記録として、また、だれかのお役に立てればと思い、記録を残すことにしました。

術後、一般病棟へ

一般病棟へ(前半):2023年9月末

一般病棟に移ってからは、体調によって大きく2つの時期に分けられます。前半はけっこう大変だった期間、後半はどんどん回復していく期間です。

術後3日目の午後に一般病棟に移りました。まだ、鼻に酸素の管と尿の管が付いています。管につながれているため、一人で自由にトイレへ行くこともできません。

術後4日目には、リハビリで2回に分けて100m+300m歩きました。酸素の管と尿の管も夕方には取れて、晴れて自由の身になりました!胸にはまだ体内と繋がった小さな機器がついており、シャワーなどは入れません。それから、恐らく術後ずっと携帯心電図測定器のようなものが体に貼ったシールにつながっており、その機器をポケットに入れていました。

朝、お茶で咳き込んでしまい、その後ときどき咳が出るようになってきました。咳が出るとハーネスで押さえてもとても痛いです。

この日は、血液検査、レントゲン検査、心電図検査に行きました。夜、先生が病室に現れて、レントゲン検査の結果で肺に水が溜まっているとのことで、今後様子を見てその水(体液)を抜くことになるかもとのことでした。先生曰く、500mlぐらい溜まっているかもしれないが、それは普通のこと。夜は咳が出て、ほとんど眠れませんでした。咳はいかにも肺に水分があるような湿った咳でした。

術後5か目には、再び鼻からの酸素パイプにつながれてしまい、自由がなくなりました。酸素濃度が落ちてきていたようです。体を横にしなければ、咳はそんなにたくさんは出ない状態でした。

朝、血液検査をして、ワーファリンが効きすぎているということで、この日の食事には1回だけ納豆の小さなパックが出ました。携帯心電図から右手人差し指先につながっていた線が取れたので、やっと顔を洗えるようになって、さっぱりしました。髪もずいぶん洗っていないので、水のいらないシャンプーを使って手入れをしました。

リハビリもあったと思うのですが、書き留めておらず何をしたか不明です。午後には、看護師さんに付き添ってもらい、1階の売店に買い物に行き、ジュースやゼリーを買いました。この頃の食事は全粥100gでおかずも半分量のため、わたしには足りなくておやつとしてゼリーやジュースを摂取していました。(看護師さん許可済み)

16時頃に背中から肺の水を抜くために、病室にエコー検査機と共に先生がやってきました。ベッドに座って机に前かがみにもたれて、先生が背中の左右2か所に何かをぶっ刺して、20分ぐらいかけて800mlの体液を抜きました。抜けている途中で咳が出ましたが、これは肺が広がろうとしているためだと先生の談。体液を見せてもらうと、でかいビーカーになみなみと薄赤い液体が入っていました。こんなに体の中に溜まっていたのですね…。注射?は痛かったです。注射の前に一応麻酔の注射をしてくれるのですが、それもわりと痛いし、麻酔をした5秒後ぐらいに本番注射をしてしまうので、ぜんぜん痛かったですよ、先生。( ;∀;) 体液を抜いている間、娘みたいな若い看護師さんが手をにぎっていてくれました。ありがとう。2時間後ぐらいには咳はおさまり、鼻の酸素の管も無事に取れて、自由になりました。寝る頃には全く咳が出なくなりました。

薬について

この間も、朝昼晩と毎回かなりの種類の薬を服用していました。しかし、薬の説明書類を捨ててしまったので、具体的なことは分かりません。ワーファリンは納豆以降、何日かは中止していたと思います。また、睡眠導入剤は術後毎晩もらっていました。薬については次回の記事で。