心臓弁膜症の日記ブログ

2022年心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症)と診断されてからの病気の経過や治療についてを綴ります。自分の記録として、また、だれかのお役に立てればと思い、記録を残すことにしました。

手術と術後の集中治療室

手術:2023年9月下旬

月曜日が手術でした。当日朝に、右手の甲に点滴をしました。朝ごはんもないし、水も飲めないのですることがありません。荷物をまとめ、9時半に夫に見送られて自分で歩いて手術室へ。手術室に入って、手術台に横たわって、麻酔のことなど説明された記憶はありますが、もうすぐに深い眠りに落ちてしまいました。

手術について

開胸手術(胸骨正中切開):皮膚切開は胸骨最上部から19cm(その下4,5cmに3か所1cm程度の切開)、胸骨ワイヤー止め4か所

僧帽弁の弁形成術:人口弁輪(リング)を入れて弁、腱を修復

手術時間:5時間程度

輸血:赤血球4パック(血中酸素濃度が下がったためだそう)

心臓弁膜症の治療方法 : 手術治療(カテーテル治療(TAVI治療)・外科的治療) | 心臓弁膜症サイト

術後は眠ったまま集中治療室(CCU)に戻り、夫はわたしの様子を見て、執刀医から手術について説明を受けたそうです。

術直後 集中治療室:2023年9月下旬の3日間

わたしは手術当日午後4時ごろに目覚めたそうです。目覚めてから口に入っている人工呼吸器を抜くということでしたが、抜かれた記憶は全くありません。鼻の管やドレーン、点滴なども集中治療室にいる間に取れたはずですが、抜かれた記憶があまり残っていません。つまり、多少のせん妄状態になっていたようです。

術直後に心房細動が起きていたそうです。心房細動とは心房がけいれんして脈が不規則になることだそうで、術直後はわたしの脈はものすごく遅くなったり、速くなったりしていたそうです。心房細動が術後に出現するのは珍しくはないようです(以下リンク参照)。心機能が落ちていたためか、浮腫みがひどく、後日看護師さんなど多くの人に術直後は別人のように顔がパンパンだったと言われました。

心房細動とは?症状・原因・治療(手術)方法|ニューハート・ワタナベ国際病院

そのため、術直後は非常に苦しかったです。息をしているだけで精一杯。呼吸が6,7割ぐらいしか吸えない感じで、気持ちが悪く、喉が異常に乾いていました。翌日、夫が来て術後初めて目覚めた状態で会った際にわたしが「久しぶり」と言ったそうで、これもまた全く覚えていません。そもそも集中治療室で夫と面会した記憶がないのです。(夫は毎日面会に来ていました。)よく考えると、集中治療室で先生に会った記憶もありません!そんなことあるわけないのに。(◎_◎;) 看護師さんたちにはいろいろお世話になっていたのは覚えているのですが。やはり、せん妄状態だったのかなぁ。

術後翌日に、リハビリで集中治療室の中を少し歩きました。食事も出たようですが、最初のころは気持ち悪くてほとんど食べられなかった記憶があります。そして、なんと便意をもようし、ベッドから降りて簡易トイレに座りましたが、結局出ませんでした。

術後2日目はリハビリで集中治療室外のナースステーションまで30m歩きました。簡易トイレを利用して少しお通じがありました。

術後3日目にして、食事を完食。集中治療室内のトイレに行き、お通じ。リハビリで50m歩きました。午後には一般病棟に戻りました。まだ、鼻からの酸素と尿の管が付いています。

ハートホルダー(ハーネス)

術後はハートホルダーと言われるハーネスを付けることになっており、手術中に夫が売店で購入してきていました。しかし、自分がこのハーネスをいつ装着したのかは覚えていません。術後、気がついたらすでにつけていました。これは、胸骨骨折が治るまで2,3か月の間、24時間身につけているそうです。はっきり言ってちゃちな作りなのですが、1万円近くします。医療器具って高いですね。とはいえ、この記事を書いている術後2週間の今でも、これがないと起き上がるのとか本当にムリ!って感じです。(;^_^A

ハートホルダー | NPO法人心臓手術相談ラボ バイパスや血管など外科手術相談が無料

薬のこと

術後すぐから薬を服用していたと思うのですが、あまりよく覚えていません。一般病棟に移ってからは毎日けっこうな種類の薬を服用していたので、集中治療室でも服用していたと思います。その中にはワーファリンも含まれていたと思います。薬については、入院後半から服用しているものを後述します。

術直後のことは夫や周りから聞いたことと、自分の記憶が食い違っていることも多いです。そのことを踏まえて、自分の記憶に残っている少しのことを書きましたので、実際と違っている可能性もあります。その点、ご留意ください。

次は術後4日目からの一般病棟の記録です。